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サー・スタンリー・マシューズ マシューズは、ボール扱いの秘訣についてこう答えている。 「ボールを愛するようになれば、彼女は必ず答えてくれるよ。」 ストーク・シティ、ブラックプールで活躍したマシューズは 「マシューズフェイント」(中にはいるとみせて右足アウトで外に抜け出す) なるテクニックで右サイドを席巻。 (後に日本のストライカー、釜本邦茂が岡野俊一郎コーチ(現日本協会会長)の アドバイスでこのフェイントを採り入れ、 「釜本流」を身につけてシュートへ入る一つの型を作るのは、60年代の話である。) イングランドのみならずヨーロッパ諸国の人々からも 「ドリブルの魔術師」と畏敬の念をこめて呼ばれていたほどの ドリブラーの名手であった。 ドリブルのみならずスポーツマンシップにおいても一流で 生涯一度の警告も受けたことがないという ドリブラーにしては珍しい?人格者だったことでも有名。 マシューズは職人的な右ウイングとして40・50年代に無敵を誇った。 マシューズに対峙するDFはマシューズがフェイントをかけるたびにバランスをくずし 鮮やかな切り返しによってまったくボールにふれることもできないまま簡単に 抜かれてしまう。 そのドリブルは誰もが呆れかえるほど鋭かったのだ。 おそらく、彼以上にいろんなことの出来るFWは当時もごまんといただろうが 右サイドを着実に切り崩して正確なセンタリングを上げるという点において 彼以上の働きをする者は一人もいなかった。 彼がドリブルで通るところはいつでも転んだDFたちが累々と横たわっていた。 立っているものは呆然とその後ろ姿を見送るばかりだった。 「マシューズフェイント」とは種明かしをすれば何でもない技術にすぎなかったが わかっていても止められないことこそが本当の問題だったのだ。 「どうすればわたしのような切り返しができるかと聞かれても答えることはできない あれは自然と体が動いているのだから」 50歳まで現役をつづけたタフガイでもあるマシューズ。 なんでも子供のころから理髪店を経営する元フェザー級のボクサーの父親のトレーニングに 付き合わされ、毎朝6時にはかならず起床して走り込みや、器具を使った訓練を 毎日毎日繰り返していたそうな。 夜中でも窓を開けっぱなしにし眠らなければならなかったとか・・・・ 後に驚異的な体力で知られた男の基礎体力はここで作られた。 プレーヤーとしての晩年にもなお、鉛を入れて重くした靴を使用して 日常の鍛錬を欠かさなかったというから驚きである。 欧州年間最優秀選手賞、俗にいうバロンドールが始まったのはマシューズが 現役のうちに受賞させようという意図によるものという説がある。 あらゆることが伝説がついてまわるマシューズ。 彼はエリザベス女王から呼び出されサッカー選手として 初めてナイトの称号「サー」を与えられた。 エジンバラ公はこう言った。 「スタンリー、あなたは伝説です」 →ドリブル★マニアTOPにもどる |